19歳の時交通事故で脊髄を損傷、車椅子生活となる。 翌年、入院先である兵庫リハビリテーションセンターで車いすバスケと出会い、競技開始4年で日本代表に選出。 以後パラリンピックなど国際大会に数多く参加し、2008年〜2012年までは代表のキャプテン。